2013年 7月の記事一覧
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その一[ 汲み取り便所の地窓 ]
いわゆるぼっとん便所には、なぜか高窓と地窓がセットで付いていた。地窓からの明かりがフローリングを微妙に照らす情景が今でも目に焼きついている。しゃがみこんで用を足すときの視線が、腰掛けるよりずっと床に近かったせいだろう。
小さな個室では人の体温だけで上昇気流が発生する。高窓からそれが出ていけば、地窓は外気の供給元となる。それがぼっとん便所の自動換気装置だ。エネルギー源は体温。エコだ。いまでは腰掛け便器がじゃまして地窓に手が届かない。それを付けられなくなった現代の便所では自動換気は稼働しない。
地窓の大きさは高さ六寸(18センチ)と決まっていたようだ。その寸法ならば泥棒も入れないというこだ。
ところが入ったヤツがいた。親子連れの泥棒だそうだ。
その二[ 戸袋のヤモリ ]
かつて住宅にはかならず雨戸があり、それをしまう戸袋があった。戸袋の外側には、鏡板と呼ばれる杉板でつくられた薄い壁がある。
傷んだ鏡板を直そうと板をはがすと、そこに身体の一部に釘が貫通し、動くことができないヤモリが一匹。板を留めるために釘が打たれたのはずっと以前のことだ。これまでどうやって生きながらえてきたのだろう。
ヤモリの仲間は、ことのほか絆が強いのだそうだ。大工が打ち込んだ釘で動けなくなったヤモリに仲間がせっせと食べ物を運び、ともに生きつづける。
・・・美しすぎる。
この話は建築現場で二度も聞かされた。しかも別の現場で、大工もとうぜん違う。共通点は、二人とも”聞いた話"で見たことはないそうだ。
信じたいとは思うのだが・・・
その三[ 神棚 ]
神棚の寸法は誰が決めたのだろう。
大工に聞くと、神棚は巾三尺六寸五分、奥行一尺二寸だという。根拠をたずねるとニヤッとして、「昔から決まってる、1年は365日で12ヶ月、これがいちばん縁起がいいんだ」と。・・・くだらん!。
神棚を据える部屋の大きさはいろいろだ。神棚に載せる”お社”も、大中小三種類ぐらいの既製品がある。棚の大きさもお社の大きさに合わせないとバランスが悪い。”縁起”なんかにこだわっていられないし、狭い部屋に大きな神棚はむちゃだ。ならば自分で決めよう。
大工に寸法を聞いた僕が悪かったか、ゆるせ神様!。
その四[ 埋め木 ]
木材の割れや、穴、節のあとなどを補修するのを”埋め木”という。
節には、生き節や死に節、抜け節がある。生き節は割れもなにもない、きれいな節だ。死に節は節が縮んで周りにスキができ、今にも抜けそうなもの。抜け節はすでに抜け落ちて穴が開いた状態をいう。
抜け節は当然として、死に節も節をたたき落として埋め木する。節にはそもそも枝の痕だから年輪がある。もっともらしく埋め木するには本物の枝を採ってくるしかない。そこで大工が一言、節の埋め木は”ウメギ”と言うくらいだから「梅」の枝に決まってるんだ。
本当かどうか、未だにわからない。どうでもいいことだが・・・
その五[ 仏壇と神棚 ]
地方では土地に余裕があり、家も大きいから”仏間”を設けるのがあたりまえ。しかし都会ではそうはいかない。
狭いスペースになんとか仏壇を設置し、その上の空いたスペースに神棚を設けることが多い。そんなことをしたら神様と仏様が互いにいやがるだろうし、場合によってはケンカするかもしれない。しかし小さな家でそうもいってられない。
そこでおまじない。
仏壇置き場の天井に、”天”または”空”と書いた紙を張れば、その上に何が来ても問題はない。
おなじく神棚に”地”と書いて張ると、そこから下はクリアされるのだそうな。
おまじない大好き!。
その六[ 手抜き ]
床の間の下がり壁の裏側は塗るものではない(左官で)と聞いたことがある。理由ははっきりしないが、どうせ「昔からそうなんだ」だろう。
ぼくは現場で手抜きを指示することがある。たとえば物置の内壁は張らないとか、きれいに仕上げないとかだ。職人は客の手前、見栄えをよくしたがる。しかし、物置には何でもかんでも荒々しく放り込まれる。元がきれいでは汚れが目立つし、放り込むにも気をつかう。
内壁は張らなければそのぶん広くなるし、なにかを掛ける釘も気兼ねなく打てる。手を抜いた方が使いやすいのだ。建て主には説明しておくからと職人を説得すると、「本当はその方がいいんだ」といって手を抜いてくれた。
余計なところに金を掛けるのはやめよう、もったいない!。
その七[ 鬼門 ]
家相を気にする人の家を建てかえたことがある。気にするといっても、単に「鬼門だけは」という人が多い。この場合もそうだった。
敷地の形状と道路の関係で入り口が限られることがある。この家の場合、その方向が鬼門に当たっていた。建て主は、何十年も住み続けてきた家の玄関がじつは鬼門に当たっていたことを知り、「これまで家族に大けがした者はいないし病に伏せったものもいない、もう鬼門はいい」。ということになり、以前と同じ場所が玄関になった。
あくまでも家相を気にする人の場合、そこからぐるーっと回って、鬼門から外れたところに玄関を設けるらしい。そうでなければ占い師にお金を払って魔除けの札をもらい、その方向に張って鬼門を回避する。
玄関ぐらいならまだいいが、家相が土地まで制限するようだと不動産業者は困るだろう。幸いにもいまのところは建物だけのようだ。
「家相」って信じますか・・・?
いわゆるぼっとん便所には、なぜか高窓と地窓がセットで付いていた。地窓からの明かりがフローリングを微妙に照らす情景が今でも目に焼きついている。しゃがみこんで用を足すときの視線が、腰掛けるよりずっと床に近かったせいだろう。
小さな個室では人の体温だけで上昇気流が発生する。高窓からそれが出ていけば、地窓は外気の供給元となる。それがぼっとん便所の自動換気装置だ。エネルギー源は体温。エコだ。いまでは腰掛け便器がじゃまして地窓に手が届かない。それを付けられなくなった現代の便所では自動換気は稼働しない。
地窓の大きさは高さ六寸(18センチ)と決まっていたようだ。その寸法ならば泥棒も入れないというこだ。
ところが入ったヤツがいた。親子連れの泥棒だそうだ。
その二[ 戸袋のヤモリ ]
かつて住宅にはかならず雨戸があり、それをしまう戸袋があった。戸袋の外側には、鏡板と呼ばれる杉板でつくられた薄い壁がある。
傷んだ鏡板を直そうと板をはがすと、そこに身体の一部に釘が貫通し、動くことができないヤモリが一匹。板を留めるために釘が打たれたのはずっと以前のことだ。これまでどうやって生きながらえてきたのだろう。
ヤモリの仲間は、ことのほか絆が強いのだそうだ。大工が打ち込んだ釘で動けなくなったヤモリに仲間がせっせと食べ物を運び、ともに生きつづける。
・・・美しすぎる。
この話は建築現場で二度も聞かされた。しかも別の現場で、大工もとうぜん違う。共通点は、二人とも”聞いた話"で見たことはないそうだ。
信じたいとは思うのだが・・・
その三[ 神棚 ]
神棚の寸法は誰が決めたのだろう。
大工に聞くと、神棚は巾三尺六寸五分、奥行一尺二寸だという。根拠をたずねるとニヤッとして、「昔から決まってる、1年は365日で12ヶ月、これがいちばん縁起がいいんだ」と。・・・くだらん!。
神棚を据える部屋の大きさはいろいろだ。神棚に載せる”お社”も、大中小三種類ぐらいの既製品がある。棚の大きさもお社の大きさに合わせないとバランスが悪い。”縁起”なんかにこだわっていられないし、狭い部屋に大きな神棚はむちゃだ。ならば自分で決めよう。
大工に寸法を聞いた僕が悪かったか、ゆるせ神様!。
その四[ 埋め木 ]
木材の割れや、穴、節のあとなどを補修するのを”埋め木”という。
節には、生き節や死に節、抜け節がある。生き節は割れもなにもない、きれいな節だ。死に節は節が縮んで周りにスキができ、今にも抜けそうなもの。抜け節はすでに抜け落ちて穴が開いた状態をいう。
抜け節は当然として、死に節も節をたたき落として埋め木する。節にはそもそも枝の痕だから年輪がある。もっともらしく埋め木するには本物の枝を採ってくるしかない。そこで大工が一言、節の埋め木は”ウメギ”と言うくらいだから「梅」の枝に決まってるんだ。
本当かどうか、未だにわからない。どうでもいいことだが・・・
その五[ 仏壇と神棚 ]
地方では土地に余裕があり、家も大きいから”仏間”を設けるのがあたりまえ。しかし都会ではそうはいかない。
狭いスペースになんとか仏壇を設置し、その上の空いたスペースに神棚を設けることが多い。そんなことをしたら神様と仏様が互いにいやがるだろうし、場合によってはケンカするかもしれない。しかし小さな家でそうもいってられない。
そこでおまじない。
仏壇置き場の天井に、”天”または”空”と書いた紙を張れば、その上に何が来ても問題はない。
おなじく神棚に”地”と書いて張ると、そこから下はクリアされるのだそうな。
おまじない大好き!。
その六[ 手抜き ]
床の間の下がり壁の裏側は塗るものではない(左官で)と聞いたことがある。理由ははっきりしないが、どうせ「昔からそうなんだ」だろう。
ぼくは現場で手抜きを指示することがある。たとえば物置の内壁は張らないとか、きれいに仕上げないとかだ。職人は客の手前、見栄えをよくしたがる。しかし、物置には何でもかんでも荒々しく放り込まれる。元がきれいでは汚れが目立つし、放り込むにも気をつかう。
内壁は張らなければそのぶん広くなるし、なにかを掛ける釘も気兼ねなく打てる。手を抜いた方が使いやすいのだ。建て主には説明しておくからと職人を説得すると、「本当はその方がいいんだ」といって手を抜いてくれた。
余計なところに金を掛けるのはやめよう、もったいない!。
その七[ 鬼門 ]
家相を気にする人の家を建てかえたことがある。気にするといっても、単に「鬼門だけは」という人が多い。この場合もそうだった。
敷地の形状と道路の関係で入り口が限られることがある。この家の場合、その方向が鬼門に当たっていた。建て主は、何十年も住み続けてきた家の玄関がじつは鬼門に当たっていたことを知り、「これまで家族に大けがした者はいないし病に伏せったものもいない、もう鬼門はいい」。ということになり、以前と同じ場所が玄関になった。
あくまでも家相を気にする人の場合、そこからぐるーっと回って、鬼門から外れたところに玄関を設けるらしい。そうでなければ占い師にお金を払って魔除けの札をもらい、その方向に張って鬼門を回避する。
玄関ぐらいならまだいいが、家相が土地まで制限するようだと不動産業者は困るだろう。幸いにもいまのところは建物だけのようだ。
「家相」って信じますか・・・?
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