2009年 11月の記事一覧
«Prev1Next»
私がフィールドとしている寒冷地では通常Ⅱ地域の次世代断熱相当の
断熱性能を仕様としています。
基礎は外周面内側を硬質ウレタン吹き付け、
壁、屋根は水発泡ウレタンの充填断熱です。
外壁外面には構造用面材を張り、通常皆さんは胴縁を打って
サイディングなど張りますでしょう。
私のフィールドでは延焼の恐れのある部分の防火規制はかからないんです。
ですから例の「土塗り壁同等」でなくて良いのです。
私の場合スチレンフォームBⅠ30mmを傘釘で構造用面材に直張りして
これを左官下地にしています。
一番のお気に入りはモルタルにヤブハラマインの山吹色の色粉を混ぜた
なんちゃって土塗りです。藁やコクマササの葉を混ぜてざっくり仕上ます。
外張りの付加断熱と左官下地を併せ持つという
すごいワザなのです。
断熱性能を仕様としています。
基礎は外周面内側を硬質ウレタン吹き付け、
壁、屋根は水発泡ウレタンの充填断熱です。
外壁外面には構造用面材を張り、通常皆さんは胴縁を打って
サイディングなど張りますでしょう。
私のフィールドでは延焼の恐れのある部分の防火規制はかからないんです。
ですから例の「土塗り壁同等」でなくて良いのです。
私の場合スチレンフォームBⅠ30mmを傘釘で構造用面材に直張りして
これを左官下地にしています。
一番のお気に入りはモルタルにヤブハラマインの山吹色の色粉を混ぜた
なんちゃって土塗りです。藁やコクマササの葉を混ぜてざっくり仕上ます。
外張りの付加断熱と左官下地を併せ持つという
すごいワザなのです。
今年はなかなか寒くなってこないのをいいことに、
ヘムロックヒルの薪ストーブ始めを一日一日と
引き延ばしていました。
実は薪が今年は十分にそろっていないのです。
そんな心細い感じは都会暮らしの方々にはなかなか説明しがたいものです。
だから年一回の煙突掃除も気が進まなかったのです。
本来まめな方はゴールデンウイークも明ければ早々にやるものです。
それでも夜ともなれば寒いです。
とうとう観念して煙突掃除をしました。
小さなバケツにフレーク状のクレオソートがいっぱいになるまで溜まっています。
私の場合これを家の基礎の周りにさらさらと撒いています。
蟻、白蟻、カマドウマなどは本能的にこの匂いを嫌がりますから。
さて、今年もいよいよ薪ストーブ生活のはじまりです。
ヘムロックヒルの薪ストーブ始めを一日一日と
引き延ばしていました。
実は薪が今年は十分にそろっていないのです。
そんな心細い感じは都会暮らしの方々にはなかなか説明しがたいものです。
だから年一回の煙突掃除も気が進まなかったのです。
本来まめな方はゴールデンウイークも明ければ早々にやるものです。
それでも夜ともなれば寒いです。
とうとう観念して煙突掃除をしました。
小さなバケツにフレーク状のクレオソートがいっぱいになるまで溜まっています。
私の場合これを家の基礎の周りにさらさらと撒いています。
蟻、白蟻、カマドウマなどは本能的にこの匂いを嫌がりますから。
さて、今年もいよいよ薪ストーブ生活のはじまりです。
森と人は共存できるのか?
いまだに自分の中で明解な回答は得られていません。
かりに昼なお暗い深い森に
現代の建築技術で快適な住宅ができたとしても、
人は食物を得るために畑は耕さなければいけません。
陽の差さない森の地面でそれは可能でしょうか?
大きなミズナラが木陰を落とす我がヘムロックヒルで、
どうしてもこだわって作物を作る試みを何年も続けていたのは、
森の家で農をすることはできないのか?
という問いに答えを得たかったからです。
何年か前から大きな農園の片隅を借りて作物を作っています。
農薬を一切使わないので大変に苦労しています。
種まきの敵期を10日ほど遅れてしまったばかりに、
大根は小さいまま成長をとめてしまいました。
あきらめて収穫です。
大切にいただきましょう。
いまだに自分の中で明解な回答は得られていません。
かりに昼なお暗い深い森に
現代の建築技術で快適な住宅ができたとしても、
人は食物を得るために畑は耕さなければいけません。
陽の差さない森の地面でそれは可能でしょうか?
大きなミズナラが木陰を落とす我がヘムロックヒルで、
どうしてもこだわって作物を作る試みを何年も続けていたのは、
森の家で農をすることはできないのか?
という問いに答えを得たかったからです。
何年か前から大きな農園の片隅を借りて作物を作っています。
農薬を一切使わないので大変に苦労しています。
種まきの敵期を10日ほど遅れてしまったばかりに、
大根は小さいまま成長をとめてしまいました。
あきらめて収穫です。
大切にいただきましょう。
私が八ヶ岳に移住を決めたのは
単純に大好きな八ヶ岳の懐に抱かれていたい、
という一心でした。
当時銀座の裏通りに机一つだけのスペースを借りて
好景気の波に乗ってずい分仕事はありました。
時間をやりくりしては夜行電車に飛び乗り、
四季を通して八ヶ岳に登りまくりました。
「縁」といえば「好きで通いつめた」というだけです。
思えば20年前ここに立って周りを見渡すと、
高原のペンションが100軒近くあると知りました。
そのどれもが第二世代の終焉を迎え新しいスタイルを模索している時期でした。
私のやるべきことが見つかりました。
誰よりもうまくデザインできる自信がありました。
そんなわけで私のNEW STYLE PENSION はこの高原で5作品現存します。
そんなペンションのオーナーたちがグルマンに扮装して、
カンティーフェアーでサラダバーの呼び込みをしていました。
カメラを向けると陽気にお腹をたたいてくれました。
単純に大好きな八ヶ岳の懐に抱かれていたい、
という一心でした。
当時銀座の裏通りに机一つだけのスペースを借りて
好景気の波に乗ってずい分仕事はありました。
時間をやりくりしては夜行電車に飛び乗り、
四季を通して八ヶ岳に登りまくりました。
「縁」といえば「好きで通いつめた」というだけです。
思えば20年前ここに立って周りを見渡すと、
高原のペンションが100軒近くあると知りました。
そのどれもが第二世代の終焉を迎え新しいスタイルを模索している時期でした。
私のやるべきことが見つかりました。
誰よりもうまくデザインできる自信がありました。
そんなわけで私のNEW STYLE PENSION はこの高原で5作品現存します。
そんなペンションのオーナーたちがグルマンに扮装して、
カンティーフェアーでサラダバーの呼び込みをしていました。
カメラを向けると陽気にお腹をたたいてくれました。
«Prev1Next»