2010年 2月の記事一覧
«Prev1Next»
まちづくりやむらづくりとは通常、
各都を結ぶ街道すじを軸に発展し
宿場町や地場産業の拠点となって
小単位が連続する。
こうした主流のまち形成とまったく脈絡なく
存在する集落が日本には多くある。
主に中世以来からある隠れ里のことだ。
多くは急峻な谷筋をつめて唐突に存在したり、
冬期-20度を下回るような極寒の山間だったりする。
それは、平家の落人部落であったり
兵士や軍馬のための軍事機密上の部落であったりした。
そうした集落もご他聞にもれず
ほとんどが限界集落だ。
祖先の墓を守る長男、またはその家族のみが
細々と家を受け継ぐ。
性質上、歴史の裏の事であり価値や意義が研究不足で
スポットライトが当てられないのは残念な事だ。
そのような隠れ里、信玄の時代から連綿と受け継がれた
古い集落の入り口にあたる旧家の改築の設計を依頼された。
屋敷は大きいが老朽化が進み手の施しようがない。
昭和初期まで盛んだった養蚕のための造りだ。
残念ながら壊す以外に方法はなさそうだ。
この集落にふさわしいデザインコードを抽出し構築したい。
各都を結ぶ街道すじを軸に発展し
宿場町や地場産業の拠点となって
小単位が連続する。
こうした主流のまち形成とまったく脈絡なく
存在する集落が日本には多くある。
主に中世以来からある隠れ里のことだ。
多くは急峻な谷筋をつめて唐突に存在したり、
冬期-20度を下回るような極寒の山間だったりする。
それは、平家の落人部落であったり
兵士や軍馬のための軍事機密上の部落であったりした。
そうした集落もご他聞にもれず
ほとんどが限界集落だ。
祖先の墓を守る長男、またはその家族のみが
細々と家を受け継ぐ。
性質上、歴史の裏の事であり価値や意義が研究不足で
スポットライトが当てられないのは残念な事だ。
そのような隠れ里、信玄の時代から連綿と受け継がれた
古い集落の入り口にあたる旧家の改築の設計を依頼された。
屋敷は大きいが老朽化が進み手の施しようがない。
昭和初期まで盛んだった養蚕のための造りだ。
残念ながら壊す以外に方法はなさそうだ。
この集落にふさわしいデザインコードを抽出し構築したい。
«Prev1Next»