2010年 6月の記事一覧
建築の仕事で建築設計事務所の仕事は、オーケストラで言う指揮者の様なものと言われることがあります。
設計だけでなく建築マネージメントも主な仕事だからかと思いますが、ひとつの建築が完成するには本当に多く人と多くの仕事があります。
意匠設計にはデザイン全般を指すと思いますが、海外ではそれぞれ細分化されていて、日本では資格としては無い「インテリアデザイナー」という内装全般のデザインを担当する人、そして日本では殆ど聞かれない「デコレーター」と呼ばれる装飾担当の人がいます。ですので、店舗等をつくる場合はそういった専門職の人と共同で行う場合があります。
そう。装飾です・・・・・
これは、名古屋市内の幹線道路沿いのそれはそれは立派な和風住宅の門です。
これをデコレーションと呼んで良いかどうかは定かではありませんが、クリスマスだからってわけではなく年中こんな感じなようで、この前を通勤されてる方によると、ここの奥様がせっせと飾り付けをされてるそうです。立派な門をもつかなり大きなお屋敷なのですが、この門は使われておらず(というか使えないわけで)裏門を利用されているようです。
私自身は全く存じ上げない所有者の方ですが、門だけでなく、その門の左側の歩道沿いはこんな感じです。
ここまでくるとある意味凄いとしか言えない私です。
ただ、写真でも分かるように、通りがかる子供さんには人気なようです。
この方の表現の好き嫌いは別としても、建築の外部は半分以上は社会の物であると私は思ってますので、こういった形での社会との関わりがあっても良いって思うわけです。
そう、建築行為(特に最近のもの)は全然エコじゃなくて、最近始まった住宅エコポイントなんて私的には笑ってしまう制度なわけだ。何であんなもの始めてしまったのかさっぱり理解できない。
元々エコなんたらって言われているのは、ちょっと横から眺めて見る必要があると思うのだ。
社会生活を送るにあたってゴミを完全に無くす事なんか出来ない。当然ながらそれを処理する施設が必要になる。が、そんな必要悪的な施設(産廃施設や下水処理や火葬場とか・・・ついでだからラブホテルも入れてしまおう)は、誰しも必要なのは分かっているけど、近所に出来ると嫌われる。時には住民運動が起きて裁判沙汰になることもしばしば。
私自身、こういった嫌われものの施設の設計に関わった事は無いのだけど、どこかの同業者が必ず関与して設計しているわけだ。自分であればどう対処するかを自問自答する私なのであった。まぁこういった特殊な施設設計は私には出来ないので自問自答するのも変なのだけど。
さて、前置きが長くなったが、昨日名古屋市役所に仕事でいったついでに、名古屋高裁へ裁判傍聴に行った。ある産業廃棄物処理施設の第二回控訴審弁論だ。この施設の建設計画が上がる2001年から反対運動が起き、建設差し止めも出来ず現在その施設は試験運転中なわけだ。
で、原告側のかなりの傍聴人がいたわけだが、控訴審弁論と言いつつ弁論など殆どなく、次回(9月)の弁論の日程決めのやりとりで15分ほどで終わってしまった。
既に運動から10年あまり。こんなノンビリした裁判では、いつ終わるのかも分からない。場合によっては最高裁に上告ってなるかもしれない。ただ、この裁判の経緯だけはみておこうと思っている。
ということで、傍聴後、裁判所地下の食堂で「大名天丼」630円也^^
当然ながら、戸建てだけでなく共同住宅も含めてではあるけれど、人口増加も無い今は言い方を変えれば、新築する必要は全くないって事だ。
生命保険なんからライフサイクルなんて表を作ってもらう事があります。そのある意味未来予想図の上に住宅に関する部分だけを重ね合わせた場合、結婚当初の2人から家族としてスタートする。そして、子供が生まれたり親を呼んだりと家族数としてはピークを迎える時がある。その後は、親の死や子供の独立なんかで徐々に同居する家族数は減り、また結婚当初の2人に戻る。
こんな絵に描いたような一般的ライフサイクルの場合、おおざっぱに言えば2人で住む家と最大3世帯で住む家の2つあれば良い事になる。もちろん、それは自分の家でなくとも良い。
これも含めて現在の住宅ストックとしてはこの日本に十分にある。
これは、先日京都に伺った時の写真だ。大文字が間近に見える坂のある閑静な住宅街だ。
この近くの家を訪問した。160坪もある敷地に100坪弱の昭和初期の家が建っている。何LDKなんぞというよくある表現が出来ない程の大きな敷地に大きな家なわけだ。この家の住人は現在2人。
家の状態はというと、あまり良くない。一部で雨漏りしているし、使っていない部屋の多くは開け放つ事が少ないからなのか、ちょっと湿気った感じがする。
で、現在は外に住んでいる息子さんからの相談で、何とかこの住宅を残したいと思っているし、自分たちももう一度ここに住もうと思っている。との事。
この息子さんの家族が一緒に住もうという気持ち、これが良い。そんなわけで現在改修を含めた計画を考え中。
うちの田舎の方でも、かなり大きな家に老夫婦2人っていう世帯は多い。また、その老夫婦がいなくなり空き家となったままひっそり佇んでいる住宅も少なくない。
さて、小学校の学区単位で見た場合、そのエリアにこんな家がどれぐらいあるだろうか。
自分の生活においてのコミュニティを含めて考えれば、これぐらいのエリアの中で自分のライフサイクルにあった住み替えが出来れば、とても住みやすいだろうと思う。それには、住宅の所有よりも住み替えをする事への意識の転換が必要なのかもしれない。
税法の違いなのか、アメリカでは住宅の所有は売るために買う。言ってみれば住宅は商品であるから、庭も綺麗にするし家のメンテナンスもする。所得が増えればより良い自分に合った住宅に住み替える。税法がネックなので日本の場合は、借家として貸すか売る事になるのだが、貸すにしろ売るにしろ家のメンテナンスはその家の価値を維持する為に必ず必要だ。にも関わらず、あまりメンテナンスされてない所は多い。
最初に書いたように、住宅は余っている。だから建てる必要は無い。
だが、ただ住宅を持っているだけでは資源の無駄でしかない。
だから、もっと住み替えをしよう。住み替えによって住宅ストックはメンテナンスされ、住み替えを前提にすると人は無駄な物を買わなくなる。
たぶん、これだけで住みやすくなるんじゃないかなぁと思う今日この頃であった。
たぶんどの市町村にもある事業かとは思うが、介護保険の住宅改修とは別に障害者を対象に市町村単位で行っている事業だ。早い話が、障害者が自宅で住みやすくする為の住宅改造の助成事業なわけだ。
私は、その事業のお手伝いとして、医療の専門家と共に訪問し、その障害者の方や愛護の方が住みやすくする為の建築的なアドバイザーをしているわけだ。
現実として、一番多くある脳血管障害の場合でも「脳血管障害」と一口で言っても、それぞれ皆さん程度も違えば住宅も違うわけで、その都度提案する改造案は違う。このお手伝いをし始めてからたぶん700件以上訪問させて頂いてるが、同じケースはほとんど無いし、それぞれ困っているバリアは違う。
障害者の方の住宅改造の場合、障害者の方だけの為には考えない。障害者の方を介助する方(家族ですね)の為も含めて考えなくてはならない。脳梗塞やクモ膜下出血などの脳血管障害の例でいえば、概ね50代以降の方が発症されるわけで、介助される家族の方も同様な年齢であり、一般的な言い方をすれば老々介護の様なケースが多い。子供さんが脳性麻痺などで障害を持たれていて、その方が40代ぐらいの場合も大変です。
介護の基本は「頑張らない介護」であるべきで、介助や介護する方の負担が大きければ大きいほど続かないし、結果として障害者本人にもマイナスでしかない。過去10年の印象としては、障害者が奥様の場合に旦那さんが目一杯頑張ってしまうことが多い。ある意味で、それだけ奥様に感謝されてるわけで、それまで感謝の気持ちを表す事なくきてしまったんだろうなぁと思うわけです。
さて、話を戻して・・・・こういった助成制度はどこの市町村でもあるわけですが、助成ですので助成を受けるには所得制限があると思います。所得制限があってその助成を使えないとしても、住宅改造をしようと思われる方はぜひ相談されると良いと思います。助成金はでなくともどこでも相談は受け付けていますから。
悲しい事に行政サービスはどんな場合でも自分から動かないことには受けられません。
税金も多く払っても何も言ってきませんが、少ないと行政から取りにきますよね^^; そんなもんです。
ですので、結構知らない行政サービスはあると思いますので、困った事があればまずは市町村に聞いてみると良いかと思います。
あ、そうそう。こういった住宅改造をされる場合、ついでに耐震改修助成も使ってしまうのも手ですので、リフォームや増改築される場合は、そんな事も頭の片隅におかれておくと良いですよ。