朝、福島から会津へ。福島は夜半から雨、途中の土湯峠は霧と雨で視界が極端に悪かったが、会津は路面も濡れておらず薄陽がそそいでいた。

 前回ブログで入学当初、製図の成績が悪かったことを書いたが、設計を職とする立場で、経営上支障があるとのクレームがあったので、少し付け加えます。

 様々な理由から、生まれ故郷・福島県郡山市にある日大工学部建築学科に入学した。当時(今がどうかは分らない)建築学科には2つの道を通ってきた学生がいた。①高校時代建築科だった学生、②高校時代普通科の学生である。①の学生はすでに3年間建築設計を学んでいる。②の学生は大学に入り始めて設計製図を学ぶ。そこには4年生と1年生位の差がある。野武士新入生は②であり、おまけにさほど建築に興味のないまま進んだ学生である。そして致命的な弱点もあった。実力の差は歴然。しかしこの屈辱の時代が良かったのではとも思う。挫折があってこそ、それをバネに成長できるのではないか。その4年後に設計製図を指導する立場になるとは入学当時は夢にも思わなかった。

 妙なことを思い出す。
 入学するとすぐ様々なサークルの勧誘の時期となる。新入生の授業が終わるのを教室のある講堂前で先輩諸兄が待ちかまえてサークル勧誘。時として純粋無垢な新入生にとって脅威と感じるほどであった。
 ところが野武士新入生、勧誘をあまり受けない。嫌われていたのか、新入生でなく留年生と思われたのか不明なのだが、とにかく誘ってくれない。なんとなく物足りない新入生勧誘期間であった。
 当時の野武士新入生、髪は伸ばし放題で年齢より老けて見え、おまけに生意気そうだったと思われる。
今でも変わらないと言われそうであるのだが。