28年ぶりの友と飲む。

 旧友からの年賀状に「久しぶりに日本での正月になりました」との文あり。大学卒業以来28回年賀状の交換を重ねたが、その間会うことはなかった。
 急に懐かしさがこみあげ会いたくなった。
 もちろん住所は知っている。グーグルで家を調べ、正月休み中に訪問する事とした。彼の住まいは50kmほど離れた街にある。

 電話番号は分らない。いるかどうか、もしかしたら迷惑かも知れないと思いつつ車を走らせる。この正月は雪が降ったのだが、当日は天気も良くスムーズに車を走らせ、あっさりと新興住宅地内にある彼の家を見つけることが出来た。

 表札を確認、28年の間に彼がどんなになっているかを想像しながらインターホンを押した。お母さんが出た。そしてジャンバー姿の彼が現れた。

 彼が学生時代と変わっておらず驚く。話し方も変わらない。何より突然の訪問にも係わらず喜び歓迎してくれた。しばし28年前にタイムスリップすることができた。そして現在中国の深セン近くにいること、単身で行ってる事、子供は二人などなどの話を聞いた。

 彼がジャンバーを着ていたので出かける処と思い、長居は迷惑だと感じた。しかしこの機会を逃す事も惜しいので、明日夜に飲むことを約束し家を後にした。

 その夜、今日の出来事を思い浮かべながらの入浴中に謎は解けた。
ずーとジャンバーだったのは、出かける予定ではなかった。暖かい地域にいるため、僕らが丁度良い気温でも彼にとっては寒いためだと。
 子供の頃、隙間風が吹き込む家の中でジャンバーを着ていたおじさんがいたが、新しい家で暖かくしていても彼は寒いのだ。
 それは南国生活の後遺症なのである。

 次の夜、今度は電車で飲み会に向かった。駅前で待ち合わせし、初めての居酒屋へ行った。2時間後にもう一人旧友が来ること。彼とはお互いに15年位ぶりである事、しかし彼は酒は一滴も飲めない事などを話す。。

 焼酎を頼もうとすると・・・彼はボトルにしようと言う。僕はこの街では滅多に飲まないし、彼は中国在住である。僕はもったいないと言ったのだが、彼は「そのくらいは飲む」と言う。
言われるままボトルを頼み飲み始めると、彼がめっぽう酒に強く、驚く。
中国では注がれた酒は飲み干さなければ失礼にあたるそうなのである。そんな話を聞きながら、そうこうしている間に新幹線通勤の下戸の旧友があらわれ、またまた学生時代の話に花が咲いた。そして僕も彼にあわせて飲む事となり、あっという間にボトルはなくなったのだが、まだまだ続く・・・。

 また会う事を約束し、やっとの事で終電に乗る。そして酒の強さも中国生活の後遺症ではないかと思った。学生時代はこんなに強くはなかった。

 そして次の朝、僕は深酒の後遺症で苦しむ事となった。