「暗い空間には、1.2m四方、30cm高の水槽が3x3個グリッド上に吊られています。水槽内部では人工的な霧が発生し透過と不当化をつなぐかのように流動的なパターンがたえず産み出されていきます。水槽の上から放たれる映像は水溶きの織り成すパターンを通過することで絶えず融解され、抽象と具象の境界をたゆたい続けます。音や映像は流動的な霧やコンピュータのランダムネスにその展開を委ねることでリニアで確定的な時間や空間性から逃れ、ダイナミックに変動する現象として出現し始めます。訪れた人々は、空間内を自由8に動き、水槽の下にたたずむことで、可視と不可視、聞き取れるものと聞き取れないものの間に潜む生きた変容の場に立ち会うことになるでしょう。」
(坂本龍一+高谷史郎「LIFE-fluid,invisible,inaudible」チラシより)

9/15よりICCで行われている坂本龍一と高谷史郎の展覧会「LIFE-fluid,invisible,inaudible」に行ってきた。
展覧会の内容は、チラシに書かれていた上記引用の通り。
映像とそれを投影するための水槽や霧を発生させる装置などを担当した高谷史郎氏と、3x3台の水槽にそれぞれ二台づつ取り付けられた18台のスピーカーから出力される音楽(音?)を担当した坂本龍一氏とのコラボレーションによるインスタレーション作品である。

「LIFE]というタイトルが示すように、この展覧会は、坂本龍一が20世紀を総括するという構想の下に1999年に行ったオペラ「LIFE」の続編に位置づけられている。
オペラ「LIFE」では、オペラという表現形式の特性上、一直線に並べられた時間軸に沿って映像と音楽が上演された。一方、今回のインスタレーション作品「LIFE」では、オペラ「LIFE」で使った映像と音源がコンピュータのハードディスク上に記録され、1.2m角のアクリルボックスに人工的に作り出した霧と水の上に描かれる波紋に向かってランダムに出力されている。そのことによって、非同期な音と映像そして霧や波紋が重なり合い、鑑賞者が自由に遊歩することで体験される非線形な空間が作り出されている。

「LIFE」のテーマが「共生」にあるとすれば、一つの時間を強制するオペラよりも、鑑賞者が自由に非線形の時間を体験しうる今回のインスタレーションのほうが、より洗練された表現になっている、ということである。

ただ、この作品から未来への可能性を感じることはできたのは、そんな壮大なストーリーとは別のささやか部分だ。

そもそも非同期の音やビデオ映像を用いて非線形な空間を作り出すというアイデアは、ジョン・ケージの「Rain Forest」(1968)やナム・ジュン・パイクのビデオインスタレーションにおいて、すでに示されているものである。そのため、今回の作品には、そのアイデアを、ラップトップコンピューターや液晶プロジェクターといった今我々が手軽に利用できる最新の技術を用いて再構成してみせた以上の新しさはない。
もちろん、ポストモダンの音楽家として、クラッシクから民族音楽まで様々な音楽形式を巧みに引用して作品をつくってきた坂本龍一にとって、ケージやパイクのコンセプトの引用は、まさに彼の意図するところであり、このインスタレーションがそれらの焼き直しだという批判は的を得たものにはなりえない。
とはいえ、現代美術の巨匠たちが提示したこの手法が、”メディアアート”の常套手段としてすでに大量のコピーが作り出されている状況において、さらに新しいコピーを一つ加えることに積極的な意味を見出すことはできない。

むしろ、可能性を感じられるのは、現代美術から引用されたありふれたシステムではなく、このインスタレーションが持っていた新しいイメージにある。
今世紀、環境問題が深刻になることは間違いないが、それに対応した新しい表現は、未だに貧しいものがある。
20世紀の建築を例にとれば、ミース・ファン・デル・ローエの「バルセロナパヴィリオン」に代表されるように、産業革命や科学技術という時代のパラダイムに対する適確な美的表現が与えられた。
一方、現在行われている環境問題へのアプローチは、ハイテクで環境問題を解決しようとするモダニズム建築にソーラーパネルを載せるサスティナブルデザインか、「自然と共生していた」とされる過去の生活を、自然素材などを利用することでシミュレーションするノスタルジックな山小屋か、という二者択一になっている。

そんな状況に、このインスタレーションは、一石を投じているように思える。
今回の作品が「LIFE」というテーマと伴に示しているのは、液晶プロジェクターやパソコンなどの最新のデジタル技術をつかっただけのメディアアートでもなく、森や湖、田園風景へのノスタルジーでもない。
「自然」を、ノスタルジックに捉えるのではなく、霧や水の波紋などのプリミティブな自然の中から抽象的なパターンを取り出すことによって、液晶プロジェクターやデジタルノイズを多用した音楽などの最新のデジタル技術とを高度に融合させている。

最近の坂本龍一は、Carstein NicolaiやFenneszといった音楽家とのコラボレーションで、プログラミングされたデジタルノイズにアコースティック・ピアノを重ねた作品を作っているが、デジタル技術(液晶プロジェクター、デジタルノイズ)+抽象性の高い自然(霧や波紋、アコースティック・ピアノ)融合という点で、このインスタレーション「LIFE」との共通点を見出すこともできるように思う。

つまり、ハイテクで省エネシステムを作り出すのでも、ノスタルジックに過去の田舎暮らしに回帰するのでもなく、21世紀のパラダイムとしての環境問題に対応した表現として、デジタル技術を生かしながらプリミティブな自然と共生するという別の方向を切り拓いている。
このインスタレーション「LIFE」に21世紀の展望を見出させるとすれば、この作品のもっていたそんなイメージにある。