「魂」を送る(家で葬儀を行う)
暫くブログの更新が出来ないでいました。
4月初めに身内を亡くし、その余波から
なかなかブログに向かう事が出来ませんでした。
今回、本人の希望から「家族葬」という形で、極近しい方々のみで
自宅で葬儀を行いました。
近年、葬儀と言えばセレモニーホールと決まっている感がありますが、
普通の小さな一般住宅で、
8帖と6帖の続き間で、本当にささやかにその「魂」を送りました。
本人は「昔は自分の家で皆死んでいった」と生前に言っていて、
自宅で最後を迎える事を臨んでいましたが、
それは残念ながら叶いませんでした。
しかし、入院後数日で亡くなる形で、
数日前まで、自宅で過ごせ、その記憶も鮮明な内の最後でしたし、
入院先のスタッフの方々も親身に対応して下さり、
亡くなる前に「家に帰りたい」という言葉もなかったので、
ホッとしています。
そして、最後の最後、その「魂」を送るのは、希望通りに自宅で
出来たのはせめてのもの事と思っています。
実際には、一般住宅故、玄関は狭いし、
続き間も極親しい方々だけでもかなりきつい状況で、
葬儀を自宅で行うことの大変さは色々ありましたが、
「家」に関わる仕事をしている私自身、
葬儀というものを通して、そして人が亡くなるという事を通して、
「家」について、これまで考えもしなかった部分が
今回、見えたように思います。
4月初めに身内を亡くし、その余波から
なかなかブログに向かう事が出来ませんでした。
今回、本人の希望から「家族葬」という形で、極近しい方々のみで
自宅で葬儀を行いました。
近年、葬儀と言えばセレモニーホールと決まっている感がありますが、
普通の小さな一般住宅で、
8帖と6帖の続き間で、本当にささやかにその「魂」を送りました。
本人は「昔は自分の家で皆死んでいった」と生前に言っていて、
自宅で最後を迎える事を臨んでいましたが、
それは残念ながら叶いませんでした。
しかし、入院後数日で亡くなる形で、
数日前まで、自宅で過ごせ、その記憶も鮮明な内の最後でしたし、
入院先のスタッフの方々も親身に対応して下さり、
亡くなる前に「家に帰りたい」という言葉もなかったので、
ホッとしています。
そして、最後の最後、その「魂」を送るのは、希望通りに自宅で
出来たのはせめてのもの事と思っています。
実際には、一般住宅故、玄関は狭いし、
続き間も極親しい方々だけでもかなりきつい状況で、
葬儀を自宅で行うことの大変さは色々ありましたが、
「家」に関わる仕事をしている私自身、
葬儀というものを通して、そして人が亡くなるという事を通して、
「家」について、これまで考えもしなかった部分が
今回、見えたように思います。